生駒聖書学院
ここはプロテスタント系の牧師を育成する、
神学校のひとつである。
生駒聖書学院は、
日本の奈良県の
生駒市にある。
1929年にイギリス人宣教師の、
レオナルド・W・クート氏によって創立された。
レオナルド・W・クート氏は、
イギリスから石鹸会社の日本駐在員として
派遣されて来ていた。
「おぉー、 ここが、日の出(いずる)国、 日本か! 」
しかし神さまは、
彼を選んでおられたのだ。
神さまは、
クート青年の下宿先に、
日本で宣教師として活動しているアメリカ人たちを
用意しておられた。
クート氏が、
彼らとバイブルスタディーをしていると、
日本人への熱い救霊への思いが、
天から下りて来た。
神さまは彼を
まったく新しい人に変えてしまったのである。
クート氏は、
仕事もしながら、
道端に出て日本人にキリスト教の伝道を始めた。
アメリカから来ていた宣教師たちは、
彼とともに働いた。
「皆様、イエスさまを信じるだよ!」
「おっ! 異人さんや。
なんや? ヤソかいな! 」
まだ日本が、
クリスチャン達を差別し迫害していた
そんな時代である。
そんなある日のこと、
クートは、
「神の声」を聞く。
「 クートよ! わたしが来るまで、
日本とペンテコステ(教会の誕生)のために生きよ!」
「 はっ? はい! 主よ! 」
彼は、
神の声を聞いて、
神のみを頼っていくことを決意する。
彼は奈良県の生駒山に登り、
ここに神学校を建てる決心をした。
すると不思議なことに、
土地を買うのに必要な額の小切手が
祈っていると、
友人から届いた。
神は本当におられるのだ。
クートは約5000坪の土地を生駒の山に買い、
そこに教会と校舎と寮を建てた。
こうして、
「教会を誕生させる牧師」を育成する神学校が、
日本の奈良県生駒市に誕生した。
これが、
生駒聖書学院が設立された経緯である。
1920年代当時は、
学校が所在している地名を、
その学校の名称に入れなければならない、
という法律があった。
それで「生駒(にある)聖書学院」となったのだ。
生駒聖書学院は今年、
設立100周年を迎える。
ところで、
クート氏が決めた入学資格はシンプルだった。
1、イエスキリストを信じて救われていること。
2、主からの召しがあり、献身の思いがあること。
3、推薦してくれる牧師がいること。
これだけである。
学歴不問、
年齢不問、
過去は不問、
間口の広い神学校である。
しかし怠惰者では、
卒業できない。
この時代は、
全国にあるいくつかの神学校が、
自由主義神学や、
エキュメニカル神学の導入を受け入れて、
総合大学や、
一般の大学に変形し始めていた頃だった。
(注) 自由主義神学=聖書は作り話し。
(注) エキュメニカル神学=キリストだけが救いでは無い。
しかしクート氏は、
決して変わることなく「教会を生み出す牧師」、
「聖書を文字道り「神のことば」と信ずる牧師」を、
育成する神学校を目指した。
生駒では、
卒業までの3年間に、
学生のほぼ半分が挫折する。
それだけ厳しい。
朝は5時半からスタートする。
(今は朝6時らしい。)
生駒聖書学院は全寮制である。
全国から集まって来た若者達が、
共同生活を送る。
一緒に暮らして、
一緒に食べて、
一緒に学ぶ。
人はひとりでは成長できない。
人は他者との関係の中で成長するのだ。
他者と暮らすことで、
自分の欠点が見えてきてくる。
鉄は鉄によってとがれ、
人はその友によってとがれる。
箴言27:17
短所に気がつき、
長所に気がつき、
そしたら、
何をするべきかが見えて来る。
授業は午前中だけである。
お金のない学生は、
午後はアルバイトが出来る。
クート氏は、
志(献身の心)がある者ならば、
どんな人でもキリストは作り変えることが出来る。
そう信じていた。
誰でも、
キリストの内にあるなら、
その人は、
新しくつくられたものです。
古いものは過ぎ去り、
見よ。すべてが新しくなった。
第二コリント 5:17
生駒聖書学院が開校した1929年は、
奇しくも明治憲法(1889年)が
「信教の自由」を制定して、
「キリスト教迫害」を明確に日本国で禁止してから、
ちょうど「40年」
であった。
長い長いキリスト教迫害の時代が終わり、
日本の全国津々浦々に、
キリスト教会が立ち、
日本人が救われる。
そんな新しい時代が
始まろうとしていた。
生駒聖書学院の卒業生らは、
日本中に、
教会や教団や
神学校を設立していった。
そして現在、
生駒聖書学院の院長は、
クート氏最後の弟子、
榮義之(よしゆき)氏である。
( 2012年4月からは、榮義嗣(よしつぐ)氏が院長となる。)
「S先生、
私、高校卒業してないですよ?
それに学費は?
学費は払えないですよ?」
「高校卒業資格なら、生駒に入ってから、
大検を勉強したらいいよ。
そして、
学院の授業はお昼までだから、
午後からは、アルバイトをしたらいいよ。
それで学費も納められるよ。」
「エッ?本当に?」
大検で、
高校の卒業資格を取る、、、、?
勉強しながら、
アルバイトをして学費を納める、、、、、、、?
そして
聖書を学べられる、、、!?
わぁ、、、
夢のようだ、、、、、
良いなあ、、、、
でも、、、、、
でも、
アメリカを去るのか?
・・・・・
「ジョニーくん、
アメリカに残って、
「分からない英語」を勉強して、
それから「分からない聖書」を学ぶのも
一つの道だよ。
でも「分かる日本語」で
「分からない聖書」を学んで、
その後に英語を学ぶ、
という道もある。
決めるのはジョニーくんだ。
でも、
一つ言えるのは、
どんな時でも、
神さまを優先すると!
神さまは必ず「その人」を祝福して下さる!
ということだ。
「英語」を取るか、
「聖書の勉強」を取るか、
祈って、
自分で決めたらいいよ。」
私はバイクを走らせた。
数時間、
考えた。
良し!
決めた!
日本に帰ろう!
日本に帰って、
聖書を勉強しよう!
分かる日本語で、
分からない聖書を、
まず勉強しよう!
それからまたアメリカに、
帰って来たらいいんだ!!
日本に帰ろう!
願書を出して数週間後、
奈良から
「入学許可通知」が届いた。
このブログを読んでいるあなたへ。
もしあなたが、
これから、
どう生きて良いのか分からない、のだったら、
あなたに提案、、、、、
「神学校」へ行ってみては?
神学校は、
牧師を育成するだけじゃない。
正しい生活習慣。
自尊心の確立。
健全な人間関係の構築の訓練。
自己実現に向けての人生設計と実践訓練。
そして、
一生の友との出会い。
なかには伴侶となる人と出会った人もいた。
私は神学校で学んだお陰で、
沖縄に帰って、
社会人として
一人前に仕事をすることが出来た。
社会人として働けたので、
家庭も持てた。
素敵な女性と出会い、
結婚もした。
そして素晴らしい子どもたちにも
出会えた。
そして
幸せになれた。
人生のうちの、
数年間を、
神さまに向き合ってみる、、、
そんな生き方は、どうだろう?
そしたら、
卒業したら、
神さまがきっと、面白い「人生」を用意している、
と、私は確信する。
私はそうだったから。
あなたも、
考えてみて、、、
このまま「同じ生活」を選ぶか、
「聖書の学びと訓練」を選ぶか、、、、
考えてみて、、、、
祈ってみて、、、
ハーフ牧師(元団体職員)が行く 23話
続く、、、