第一話
「沖縄のハーフ事情」
始めまして。
私はつきしろキリスト教会牧師の砂川と言います。
こう見えても、どう見えるか知りませんが、ハーフです。
母は宮古島の貧しい農村から、
キャンプハンセンのある金武町の繁華街に来て働き、
父はテキサス州サンアントニオの貧しいメキシコ人家庭から、
徴兵されてキャンプハンセンに来ていて、
二人は出会い結婚しました。
翌年、姉が北谷町の海軍病院で生まれ、
二年後に、
カルフォルニア州のサンタバーバラという町で私が生まれました。
ジョニー・スナガワ・エスコベード
これが私の名前です。
ハーフと言っても、
大雑把に分けて三種類が、いるように思います。
大好きだった国際福祉事務所には
いつも3種類のハーフたちがいました。
黒人系ハーフ
白人系ハーフ
黄色系ハーフ
私はメキシコ系(黄色系)アメリカ人とのハーフなので、
まるっきり沖縄人に見えます。
で、よくある話ですが、
両親は色々あったようで、離婚ました。
母は子ども二人を連れてアメリカから沖縄に帰って来ました。
ところで、
ハーフには格差があります。
両親が仲良く愛し合い、
愛情いっぱいに育てられたハーフの子は、
母親と父親の、両方の愛情と言語を受け継ぎ、
高い自尊心と語学力、そしてコミュニケーションスキルを
身に着けるのだと思います。
だから彼らはハーフというより”ダブル”だと思います。
ところが、
父親が居なくなったハーフの子は、
経済的困窮から母親は常に仕事に出かけており不在、
子どもは家でテレビや漫画を見て育っていく。
母親にも父親にも見つめられて「愛しているよ」と言われることもなく、
一般的な教養も、
常識も教えてもらえず、
自尊心も低く、
自信のないシャイな子に育っていく。
大人になっても生きずらさを覚え、
人が苦手で、一人がラクだ、という人になっていく。
これが本当の「ハーフ」なのではないかと、私は思うのです。
持論ですが、
ハーフとは、人種としてハーフなのではなく、
人としてハーフなのではないか?
と、思うのです。
私はメキシコ系アメリカ人とのハーフだったので、
まるっきり沖縄人に見られ、いじめにあうことはありませんでしたが、
ある日、平良のパイナガマビーチそばの団地に住んでいた
黒人のハーフの子がいじめられているのを見ました。
父親が本国に帰ってしまい、母親と二人暮らしの子です。
同じハーフとして助けてあげたかったけど、
ハーフであることがばれたら自分もいじめられる。
そう思うと助けてあげることが出来ませんでした。
もう40年以上も前のことですが、
今も思い出すと、
申し訳なくと思い、
涙が出てきます。
頭も悪く、
自信も無く、
無口でシャイだった私は、
中学生になった時、ひょんなことからいじめのターゲットにされました。
鼻の骨は折れ、
あばら骨も折れ、
でも誰にも助けて、と言えず、
今でも思い出すと、
嫌な時期だったと、思います。
そんな私に転機が訪れたのは17歳の時でした。
教会に行ったことがきっかけでした。
誰も私を必要としていない。
誰も私を愛していない。
そう思っていたのです。
ところが教会で牧師が云いました。
神さまはあなたを愛している。
イエスさまはあなたの罪のために十字架に架かって死んでくださった。
私はそれを聞くと、
トイレに駆け込み号泣しました。
父は私たちを捨てて家を出て行きました。
母は生きるので精いっぱいで、
いつも怒ってばかりいました。
ところがイエスさまは
こんな汚い私を、
こんなダメな私を、
こんないない方がいい人間を、
「わたしはあなたを愛している」と言ってくれ、
十字架にまでかかってくださったのです。
本当にうれしくてうれしくて、
うれしくて、
今もその喜びは続いています。
あんまりうれしいから、
この喜びを、
誰かに伝えたくて、
同じように苦しんでいる人がいると思うから、
その人にイエスさまを伝えたくて、
神さまに愛されていることを知らせたくて、
思わず神学校に行き、
牧師になってしまいました。
あなたがこのブログを見ているのは偶然ではないと思います。
どうぞ知ってください。
あなたは愛されています。
あなたは高価で貴い存在です。
あなたを作られた方の元へ、
帰って来てください。
すべて疲れた人、
重荷を負って苦労している人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげる。
イエスキリスト
最後まで読んでくださり感謝します。
つきしろキリスト教会
牧師