SF 明日かもしれない 勇気篇➀

これはSF創作小説です。

聖書預言、を交えたフィクションです。

お暇な方は、どうぞ・・・

「 携挙 」

いったい 何から話したらいいんだろ。

すべてが変わってしまった。

あの日からだ。

 

 

 

俺は、定時制高校に通っていた勇気。

 

 

俺も小さい頃は親に連れられて、

よく教会に通ってたんだ。

 

あの日も俺は、教会には、

行ったんだぜ。

 

まさかあの日が「その日」になるなんて、

夢にも思わなかったけどな。

 

青空なのに、

大きな雲が教会の上に

あったんだ。

 

「おはよーございます。」

「はい!おはよう!」

 

おふくろに教会に出席するように言われたけど、

「ゲームしてる。」って言って、

車で待ってたんだ。

 

「良いだろ! 教会までは来てやったんだ!」

 

 

「お願い。行くよ~。」

「イヤだ。」

 

俺はもう何年も教会には行かなくなっていた。

それでも、

あの「世界同時大震災」で助かったから、

一応、神に恩を感じて、

駐車場までは来るようになったんだ。

 

 

 

小さい時は何とも思わなかったが、

一体どれだけの日本人が

キリスト教会なんかに行く?

 

世界には宗教なんていっぱいあるじゃん。

なんで日本人が外国の宗教なんか信じるの?

 

なんでキリスト教?

 

あの時は、

そんなふうにも思ったんだ。

思春期だからかな。

 

もう手遅れだけど、

もう一度あの時に戻りたい。

 

戻れるものなら、

俺はなんだってする。

 

そしてあの時の馬鹿な自分を

殴ってやりたい。

 

 

それは突然に、起きたんだ。

 

ラッパの音は大きな音で、

空中に、

響きわたったんだ。

終わりのラッパとともに、

たちまち、一瞬のうちにです。

 

ラッパが鳴ると死者は朽ちないものよみがえり、

私たちは変えられるのです。

 

第一コリント書15章52節

 

 

 

それは突然、

全世界で起きたんだ。

 

 

「そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、

ひとりは残されます。」

イエスキリストの言葉

 

マタイ福音書24章40節

 

 

二人の女が臼を引いていると、

ひとりは取られ、ひとりは残されます。

マタイ福音書24章41節

 

消えたのは、

赤ちゃん、

子どもたち、

そして、クリスチャン達だった。

 

 

 

知り合いの牧師が結婚式の司式をしていたが、

式の最中に彼と花嫁が消えたんだ。

 

その花嫁さんも、

その彼によって信仰を持つ決心をしてたらしい。

 

みんなの前であの日、

「パッ」と消えたらしい。

 

式場はその後大変だったらしい。

「牧師と花嫁が駆け落ちしたのか?」って (笑)

 

大変だったのは作業現場や、

運転中の人々の消失だった。

 

 

運転中のドライバーが消えると、

あちこちで交通事故が起きた。

 

 

 

無人の車が

あちこちに突っ込んだんだ。

 

「臨時ニュースをお伝えします。」

「臨時ニュースをお伝えします。」

 

 

現在、全世界のあらゆる場所で、

人間が消失しています。

赤ちゃん、子供たち、

そして一部の成人の男女が消失しています。

 

それに伴い都内各所では交通事故が起きています。

不要不急の外出は控えてください。

 

ただいま官邸で記者会見が行われています。

 

 

政府は非常事態宣言を発令した。

 

 

政府もメディアも、

何が起きたか分からないと言ってたが、

本当は知ってたんじゃないだろうか?

 

だって俺だって

知ってたんだぜ。

 

何が起きたか

俺はその時、分かってたんだぜ。

 

 

よく分かっている。

よく分かってるよ。

理解してる。

 

 

そう、

俺たちは取り残されたんだ。

 

俺たちは、

置いていかれたんだ。

 

 

主は、

号令と、み使いのかしらの声と、

神のラッパの響きのうちに、

ご自身天から下って来られます。

 

それからキリストにある死者が、

まず始めによみがえり。

 

次に、生き残っている私たちが、

たちまち彼らといっしょに

雲の中に一挙に引き上げられ、

空中で主と会うのです。

 

 

このようにして、私たちは、いつまでも

主とともにいることになります。

 

第一テサロニケ4章16-17節

 

 

2000年前に昇天したイエスキリストが

戻って来たんだ。

そしてみんなを連れて、

行っちゃったんだ。

 

聖書によると、

居なくなったみんなは、

天国にいるらしい。

 

天国っていうのは、

誰でも入れるわけではない。

 

赤ちゃんや子供ならともかく、

大きくなって汚れた少年や大人には、

天国に入れるかどうかの、

裁判が必要らしい。

 

だからその裁判は

「最後の審判」と呼ばれてる。

 

でも、死ぬ前に、

生きているうちに、

自分の「罪や汚れ」に気づき、

神に許しを請い求め、

キリストの十字架を、

自分の罪のためだった。

と、信じる者に、

神は罪の赦しの恩赦(天国に入れる資格)を与えることにしたんだ。

 

 

何故かって?

俺に聞くなよ。

神さまに直接聞いてくれ。

 

神が創ったこの世界やあの世を、

神がどうするかは、

神の勝手ではないだろうか?

 

俺たちは地球に住ませてもらっている存在。

 

だったら神が

「わたしはキリストを信じる者を救うことに決めた」と云うのなら、

俺たちはそれに従うしかないのではないだろうか?

 

キリストは天国から空中まで下りてきたんだ。

 

 

そして世界中の子供たちと、

死んだクリスチャン達、

そして生きているクリスチャン達を、

天に引き上げてしまったんだ。

 

 

キリスト教の世界ではこのことを「携挙」という。

 

 

えっ?

なんで「携挙」が起きたかって?

・・・・

 

これから地上の大掃除をするためさ。

 

不法と悪に満ちたこの世界を、

ノアの箱舟の時のように、

もう一度清掃するのさ。

 

これから「ある出来事」が起きる。

 

 

そしたら、

それがスタートになって、

その後の7年間は、、、

大変な7年間となる。

 

 

人類がかつて経験したことのない

「大患難」の時となる。

 

 

 

何て事だ。

 

 

神さまは本当にいたんだ。

イエスキリストは、

神が人となって来られたお方だったんだ。

 

「イエスさま、お願いです。」

 

 

「私も連れてってください。」

・・・・

 

俺は教会の会堂に入り祈ってみたが、

何も起きなかった。

 

もう手遅れだ。

もうすぐ始まる大患難時代。

 

俺は最後まで生きられるだろうか?

 

これから何が起きるか、

俺は知っている。

 

読めば聖書に書いてある。

 

 

こうなる前に

目を覚まして祈っているべきだった。

 

あの日の駐車場に、

もう一度戻りたい。

 

取り残される前に、

戻りたい。

 

 

だから、

あなたがたも用心していなさい。

 

なぜなら人の子は、

思いがけない時に来るのですから。

 

マタイ福音書24章44節

 

 

 

 

 

しかし、

あなたがたは、

やがて起ころうとしている

すべてのこと(大患難時代)から逃れ、

人の子(キリスト)の前に立つことができるように、

いつも油断せずに

祈っていなさい。

 

ルカ福音書21章26節

 

 

 

 

 

SF 明日かもしれない 勇気編➀

つづく・・・