真理とは一体何なのでしょうか?聖書にその答えがあります。
大阪に釜ヶ崎という労働者の街がある。
いや、一般的には「ドヤ街」というほうが、正しい。

ドヤ街のドヤとは宿(ヤド)の逆さ読みである。
戦後の経済復興を支えるため
全国から労働者が東京や大阪のドヤ街に集まった。
そして現在、
ここは職にあぶれた高齢者が暮らすホームレスの街、
貧民街となっている。

故郷に帰るに帰れない人々が暮らすドヤ街に、
「故郷の家」というカトリック教会がある。
「プロテスタント教会の神学生です。
勉強させて頂きたくお尋ねしました。」

本田哲郎という神父が快諾してくれて、
中で説明を受けた。
「午前3時に教会で集合ね」。
ということで私は自分の宿を探してドヤ街を歩いた。
一泊1500円の高級?の宿に今夜は泊まることにしよう。

何と狭い(汗)。
ここで人が暮らせるのか?
これでは独房ではないのか?
少し眠って宿を出た。
冬の大阪はとても寒い。
午前3時、教会に着いた。
もう一人神父が加わって、数名のシスターも加わった。
「じゃぁ、行きましょうか」。
本田神父の声で、
真夜のドヤ街に歩き出した。

「大丈夫~?」
「…おお、キリストさん」。
本田神父がニッコリ笑う。
一人のシスターがポットから温かいお茶を出して差し出す。
温かいお茶を飲み、
喜んでいる。
もらったおにぎりは大事そうに握りしめている。
「おおきに。 おおきに。ほんまにおおきに」。いつまでも見送っていた。
しばらく歩いていると、
西成警察署の前に来た。
寝込み強盗を恐れて多くの路上生活者は警察署の前で眠ていた。

「ちょっと警察呼んできて」
「はい」。
一人の神父が警察署にかけていった。
声かけをしても返事の無い男性。
もうすでに息を引き取っていた。
みなでしばらく祈りをささげた。
警察官がやって来て後を任せた。

日本の高度経済を支えた名もなき人々。
その彼らが人生の終わりをドヤ街で過ごす。
そしてその生涯を終える。
これは間違っている。
これじゃ可哀そうじゃないか。
寂しいじゃないか。
家族はどうしたんだ?
どうして故郷に帰らなかったんだ?
悲しい気持ちで教会に着いた。
見上げると、
そこにこう書いてあった。
「故郷(ふるさと)の家」。
涙が流れた。
主イエスよ、来てください。
ハーフ牧師がゆく
つづく…