Tsukishiro Christ Church
あなたは、
何のために生きているのか分からないんですね?
あなたはとても
正直な人だと思います。
多くの人は
何のために生きているのか分からないけど、
「今が良ければそれで良いのでは・・・」と、
自分を偽って生きています。
人は誰でも
人生の意味や目的を
探し求める存在です。
フランスの画家ゴーギャンは、
ある時、西洋文明に絶望し
家族を捨てて
この地上の楽園を求めて旅に出ます。
そして南太平洋のタヒチ島へたどり着くのです。
「自分はやっと地上の楽園を見つけたぞ!」
しかし、そこは楽園ではありませんでした。
タヒチにも貧困と病気があったのです。
彼は希望を失って死を決意します。
貧困と絶望の中で遺書変わりに一枚の大作を書きます。
この絵のタイトルは、
我々はどこから来たのか? 我々は何者なのか?
我々は何処に行くのか?
です。
これは彼自身の人生への問いなのです。
彼は人生の最後まで
その問いの答えを見つけられなかったのです。
ロシアの文郷でトルストイという人がいます。
1879年に彼は「懺悔」という作品を書きます。
人生の意味と目的を探して生きてきた、
自分の人生を書いた作品です
彼は子供のころキリスト教を否定します。
「自分の人生は自分で切り開くんだ!」
彼は学校を出ると彼は快楽を追及します。
お酒、女性、ギャンブル、
ありとあらゆる放蕩の限りを尽くすのですが、
しかし心の平和を見つけられません。
「金こそ全てだ!」
次に彼はお金を追求する生き方を始めます。
不動産を相続し、
書いた本が売れ莫大な印税が入り、
巨万の富を手に入れます。
しかしお金も、
彼の心を満足させませんでした。
「家族こそ人生の幸せだ!」
次に彼が幸せを求めたのは家庭でした。
結婚して子供を13人もうけます。
しばらくは幸せを感じていましたが、
しかしそこにも、
自分が探していたものが無いことを悟ります。
彼はその答えを哲学や科学の中に見つけようとします。
しかしそこにも答えを見つけることが出来ませんでした。
自分は何者なんだ?
永遠の時間の中に漂う、
一つのなにか物質に過ぎないのか?
たまたま此処に、
いるだけなのか?
彼は次第に
自殺を考えるようになります。
彼も同じ疑問を持っていたのです。
私はどこから来たのか?
私は何のために生きているのか?
私は死んだら何処に行くのか?
ある日、
彼はやっとその答えを見つけました。
ロシアの農民達の、
素朴な「キリスト教信仰」の中に、
彼はその答えを見出したのです。
「彼らは難しいことは分からないかも知れない。
しかし、じつに幸せそうに日々を送っている。
私はどこから来たのか? 私は何者なのか? 私は何処に行くのか?
その答えを聖書から、
見出している!」
そして彼自身もクリスチャンになっていくのです。
私はどこから来たのか?
私は何のために生きているのか?
私は死んだら何処に行くのか?
その答えを見つけるまでは、
人は本当の平安を見いだせないのです。
希望を見つけられないのです。
イエスキリストのことば
私は道であり、真理であり、いのちなのです。
誰もわたしを通さないでは、
父のもとに行くことは出来ません。
イエスキリストこそ、
あなたの人生の答えなのです。
イエスキリストを通して
真実の神との関係を持つとき、
人生の疑問や虚しさは
満たされていくのです。
どうぞ日曜日は
お近くの教会を訪ねて下さい。