死ぬのが怖い・・・

あなたは死ぬのが怖いんですね・・・。
でも人はいつか死ななければなりません。
このページを読んでいるあなたも例外ではありません。
あなたもいつかは死にます。

つきしろキリスト教会


死ぬのは痛いんだろうか?
死ぬのは苦しいんだろうか?
死ぬのは怖い。
死ぬのは嫌だ。
死を考えると不安になりますね。

死を考えないようにしようとして日本人は病院に4号室を作りませんでした。
数字の4(し)が死を連想させるからです。
でもどんなに死を避けても人はいつか死に直面しなければなりません。
人は誰でもいつかは死ぬのです。

ではなぜ人は死を怖いと思うんでしょうか?
それは死の向こう側に何があるかよく分からないからです。
何か闇の中に飛び込んで行くようで怖いのです。

世界最古の書物「聖書」には、
死後の世界は実在する場所である、と
ハッキリと書かれています。

人は一度死ぬことと、
死後に神の裁きを受けることが決まっている。

と、はっきり書かれています。

人はいつか必ず死ぬ。

聖書はその死の向こう側に、
裁き(裁判)があなたを待っている。
とハッキリと言っているのです。

そして神さまから判決を受けて、
ある人々は天国へ
ある人々は地獄へ
送られる、
そうはっきり書かれています。

亡くなった方は誰でも
まっすぐに天国に行ける、
とは書いてありません。

生きている時の「行状」に応じて、
天国行きか、地獄行きか、
神様がお決めになる、
と書かれています。

死後の世界は、
実在する場所なのです。

赤ちゃんや子供のままで亡くなった人は、
まっすぐ天国に行きます。

しかし
神様から与えられた人生を
罪や悪行を行う機会として送ってきた人は死後、
神の裁きの場で「有罪」判決を受けて、
「呪われた者」として
火と硫黄の燃える池、
地獄へ落とされる。と
聖書に記されています。

そこへ落とされる人の
「行状」のリストは以下の通りです

 おくびょう者
( 正しいことが何か分かっていながら、
それを行うことで得る不利益を恐れ、
正しいことを選択する勇気の無かった者 )


不信仰の者
( 神がいることを知っていながら、
人の評価を気にして、神を否定した者 )


憎むべき者
( 情け容赦なく、人の人生を踏みにじった者 )


人を殺す者
( 暴力や、誹謗中傷で、人の体や、心を、殺した者 )


不品行の者
( 伴侶以外の者と、性行為を行う者 )


魔術を行う者
( 占いやオカルトに、夢中になる者 )


偶像を拝む者
( 神ではないものを、神とする者 )


すべて偽りを言う者
( 自分の利益のためには、手段を選ばない者 )

黙示録21章8節
さて、あなたは大丈夫ですか?



こんどは天国の話をします。

天国も実在する場所です。
そこは素晴らしい場所です。
病児や事故で亡くなった子供たちはみんな、
イエス様と天使たちが
養育しています。
そこで楽しく元気に過ごしています。
やがて一人前の立派な大人に成長します。
そして家族に再会できる日を、
楽しみに待っています。

天国ではもとの人格のままです。
病気や障害はすべて癒され、
新しい完ぺきな身体が与えられます。
病気になることも、疲れることも、老いることも、
死ぬこともありません。
栄光の体が与えられます。
そこでは言語や人種の壁は無くなります。
どんな人とも心からの良い交流を持つことが出来ます。
新しい人生を楽しみ謳歌することが出来るのです。
そこは地上のどんなリゾート地よりも素晴らしい環境です。
そこには退屈は存在しません。
そこには貧困もありません。
そこには孤独もありません。
懐かしい人々と涙の再会を果します。
天国は見たことも聞いたこともない、
私たちの想像をはるかに超えた
素晴らしい実在する場所なのです。

しかし・・・
あなたが天国に行きたくても、
死後、あなたがどこに行くのかを決めるのは、
あなたではありません
神です。


もし死後の「行き先」に不安を覚えているなら、
あなたに良い知らせがあります。

あなたがどんな罪人であっても
「天国に行ける方法」があります。
これが、
良い知らせ
GOOD NEWS!
福音です。

あなたの罪だらけの人生と、
罪の無い方の人生を取り換えればいいのです。

でも世間を見渡してみても
罪を犯したことのない善人は見当たりません。
いたとしても、
その善人があなたの身代わりになるとは思えません。

そこでこの全世界をお創りになった神は、
ご自分の罪の全く無い聖なる御子を
この世界に送ってくださりました。
それがイエスキリストです。

罪のまったく無い、聖なる神の子イエスキリストは、
ご自分を信じ受け入れる者に、
ご自分の「聖さ」を与え、
その人の「罪」をご自身が背負って、
神のみ前に「呪われた者」となって、
十字架で死んでくださったのです。

神は、実に、
そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。
ヨハネ福音書3章16節


そのことを心から信じて、

神さま、
私の罪の赦しのために、
大事な一人子を十字架にかけて下さり、
すいませんでした。
そして、本当にありがとうございました。
私はそのことを信じたいです。
イエスさま、
私の罪のために苦しんで、死んでくださり、
すいませんでした。
ごめんなさい。
そして、本当に、ありがとうございます。
どうぞ、主よ、私をお赦し下さい。
どうぞ、私を神さまの
養子にしてください。
よろしくお願いします。
アーメン(信じます)

真心から悔い改めて、
このように祈ることが出来る者には、
時代や空間や国籍を越えて、
神からの「罪の赦し」が与えられます。


罪赦され、聖なる者、とされた人は、
死後、神の裁きの場で
「無罪」判決が言いわたされるのです。

判決後、天使がその人のもとにやって来ます。
そしてその人を連れて、
天国に昇っていくのです。
天国に到着したときその人は、
「人生最良の日とは、今日のことだったのか!」
と感動感激し、天使たちと共に、
神を褒め称えるのです。


イエスキリストが死後三日後によみがえり、
今も生きているように、

イエスを信じる者も死後よみがえり、
天国で永遠に生き続けることが
出来るのです。

だからイエスキリストを信じた者たちは
死を恐れなくなるのです。
「死」は素晴らしい天国への「門」でしかないと
ハッキリ分かるからです。

豊臣秀吉はキリシタン禁教令を出し、
徳川家康もキリシタンを激しく迫害しました。

でも日本のキリシタン達は殺されても
信仰を捨てることはありませんでした。
それは死の向こう側に
天国の希望を持っていたからです。
彼らは磔にされても
天を見上げ讃美歌を歌いながら
殉教していきました。
それは死の向こう側に天国の希望を見ていたのです。

あなたも死を恐れなくなれます。
あなたがイエスキリストを信じるからです。

イエスキリストを信じたものが授かるべき
洗礼を受けるために、
どうぞお近くの教会に行ってください。
どこの教会でもあなたが来るのを歓迎します。

死は恐怖ではありません。
死は素晴らしい天国への門です。
イエスキリストの言葉です。
「わたしは門です。」



すべて、疲れた人、
重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを
休ませてあげます。

イエス・キリスト