ハーフ牧師がゆく 12話

日本語が通じる。

言葉が通じる。

それがこんなにも在り難いなんて。

 

 

ぎっくり腰で痛めた腰は、

相変わらず痛くてたまらない、のだが、

とにかく意思が通じる相手が来たのは、

在り難い。

その日本人「S」さんは、

父と何かをしばらく話し合った後、

私をドライブに誘ってくれた。

 

嬉しい。

何で日本の車じゃなく、

アメリカの古い車に乗ってるんだ?

 

貧乏なのかな?

 

S氏を見た時、

中学校の社会の授業で習った

ある人物を思い出した。

 

日本に初めてやって来た宣教師、

フランシスコ・ザビエルだ。

そこで、

質問してみた。

 

「Sさんはキリスト者ですか?」

「ええ、牧師をしています。」

 

牧師?

 

宗教家か。

 

宗教家。

私の一番軽蔑する職業。

 

弱い人をだまし、

困っている人からお金を巻き上げる、

詐欺師、ペテン師の

ク〇野郎ども。

 

日本語は在り難い、

が、

宗教はご免、

である。

 

 

しばらくドライブすると、

緑に囲まれた学校の

キャンパスの中に車は入って行った。

「ここはインターナショナル・バイブル・カレッジ。

牧師になる人たちの学校ですね。」

 

牧師になる人たちのための学校?

 

アメリカはキリスト教の国(以前は)。

だからこんな学校があるんだ。

へー。

 

「ようこそ。我が家へ。」

 

キャンピングカーで、

暮らしているのか?

 

日本で

「キャンピングカー暮らし」

といえば、

あこがれの「贅沢な暮らし方」に見える

が、

ここアメリカで「キャンピングカー暮らし」と言えば、

「ホームレス直前の暮らし」

という事になる。

 

Sさん、

貧乏なんだな。

 

奥さんと3歳の娘さんを紹介してもらう。

 

嬉しい。

 

Sさん。

貧しいながらも、

幸せそうな家族だ。

良い家族だな。

 

これで宗教やってなきゃ、

な。

 

私達は車の中に設置されている

テーブルに

向かい合って座った。

 

メモと鉛筆を取りだしたS氏。

 

S氏は、

腰を据えて私の話を

聴いてくれた。

「で、ジョニー君。いったい、どうしたの?」

メモまで取って話を聞いてくれている。

あらまぁ~。

 

「真剣」に私のような者の話を

聴いてくれる。

 

ショックだ。

在り難い。

初めて経験する嬉しさで、

少し動揺してしまう。

これが噂に聞く、

「カウセリング」と言うやつか?

 

当時は、

「カウセリング」という言葉は、

聞きなれた言葉では、

まだなかった。

 

S氏は私に真摯に向き合い、

正確に正しく「話し」を聴いてメモしてくれていた。

 

 

どれぐらい話しただろう。

 

私は自分の生い立ち、

母のこと、姉ニーナのこと、

父のこと、

父の家族のこと、

などを、

ゆっくりと、

心の中に有るものを、

ゆっくりと、

はき出していった。

 

S氏の奥さんが、

Kさんが、

食事を出してくれた。

 

もうお昼なのか?

あっ、という間である。

 

 

「じゃぁ、ジョニー君。手をつないで。」

「へ?」

食卓(テーブル)を囲み、

4人で手をつないだ。

3人は突然、

歌い出した。

「日々の糧を、与えたもう、恵みの神さま、ありがとう♪ アーメン。」

 

キリスト教では食事の前に

歌を歌うのか?

えぇ~?

これがキリスト教なのか?

 

心の中で、

また動揺してしまった。

 

すると今度は

みんな手を放し、

一人一人が祈りの姿勢を取った。

そして、

小さな3歳の女の子が、

たどたどしく、

お祈りを

唱え始めた。

「天の神さま。

おいしいごはんを感謝します。

貧しい人たちにも、

食べる物をお与えください。

 

イエスさまのおなまえによって、

 

(一同)アーメン。」

 

えぇ~????????????

 

これが、「おいしいごはん」??????

そこにあったのは、

 

わずかな食事、であった。

 

貧しい食事であった。

 

これが「おいしいごはん」???????

 

「水増し」の「即席ラーメン」を、

「四で割った」、

貧しい食事だ。

 

え?????????

 

これを感謝?????

私はまたまた、

動揺した。

 

 

瞬時に、

沖縄での小さい頃の暮らしを

思い出した。

母は夜の街で朝まで働いていた。

そうやって僕ら姉弟を

育ててくれた。

 

水商売なので

収入が0円で帰って来ることは

よくある事だった。

そんな日の朝は、

いつも決まって「即席ラーメン」だ。

「即席ラーメン」一つを、

三人で分けて食べるのだ。

 

母はそんな日の朝は決まって

腹を立てていた。

 

「もっとおいしいものが食べたいよね?」

 

私も姉も「即席めん」は好きだったので、

なぜ母が不機嫌なのか、

分からなかった。

 

今なら分かる。

母は自分自身に腹を立てていたのだ。

 

満足に子どもに食事を食べさせてあげられない、

自分に対して

腹を立てていたのだ。

お母さん。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この人たちは、

 

 

 

 

悪い人たちじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が貧しいのに、

自分たちが貧しいのに、

 

貧しい人たちのことを、

考えてくれている。

 

 

この人たちは本物だ。

 

 

 

 

キリスト教は、

他の宗教とは

違うのかな?

 

私は小さい時、

一度だけ母と一緒に、

宮古島にある教会に、

行ったことがある。

 

あの時のことを、

ハッキリと、

今でも覚えてる。

 

私が、4,5歳ぐらいの時、

あの時も、

みんなが歌を歌っていたなぁ。

 

私たちは会堂に入った。

私は正面にある十字架に、

磔になった人を見て驚いた。

 

なんて可哀そうなんだ。

あぁ、可哀そうに。

何で?

何で?

何であの人は磔になっているの?

 

私は何でも知っている母に、

(子に取って親は、全知全能である)に聞いてみた。

「マーマー。

何であの神さまは、十字架で死んでるの?」

 

母は、

しばらく考えた。

 

そしてこう言った。

「それはね。弱い神さまだからさー。」

 

「弱い神さま?」

「そう。弱い神さまさぁ。」

 

私達はそれ以来、

教会に行くことは二度と無かった。

この人たち、

とても良い人たちなのに、

 

何で弱い神さまなんか、

信じているんだろう。

 

でも、

この人たち何で、

こんなにも、

こんなにも、

イエス・キリストみたいなんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

私の人生を変えた、

イエスキリストとの出会いは、

このS氏と

その家族との出会いが、

きっかけだった。

 

人の人生は「出会い」で決まる。

 

誰と出会うかで、

人生は決まる。

 

人生最高の出会い、

それは、

イエスキリストとの出会いだ。

 

私は心底そう思う。

 

でも伝えてくれたのが、

このS氏でなかったら、

私はクリスチャンになっていただろうか?

と、思うことがある。

S氏の真摯な態度、

S氏の謙遜な態度、

どんな人をも見下げず、

どんな人をも尊ぶ態度。

敬愛を持って接してくれる姿勢。

神を本気で信じているその態度に、

私は心を打たれた。

 

さて、

私は今、

あのころのS氏よりも、

年齢が上になった。

 

でもあのS氏の持っていた品格には、

今の私でも遠く及ばない。

ガビーン。

で、あり、

自分にがっかりする。

 

ハーフ牧師がゆく、

とは、

未熟な牧師がゆく、

という意味で、

そういう意味でつけたタイトルでもあるのだが、

 

素晴らしいキリストが、

私の低い品性によって、

正しく伝わらない、

という事が、

ないように成長したい。

心からそう願う。

 

 

品格があるとは、

キリストに似ている、

という事である。

 

見た目、のことではなく、

話し方、のことではなく、

行い、のことでもない。

 

キリストがこの人と共におられる、

という臨在感のことだ。

 

S氏と共に、

キリストがおられた。

 

S氏の家族とともに、

キリストがおられた。

 

私と出会った人々が、

「私はキリストと出会いました。」

そう言ってもらえるような、

そんな人に、

私も成りたい。

 

 

 

あなたに会った人が、

「キリストに出合った。」

 

そう言ってもらえるような人に、

あなたも成れますように。

 

 

新約聖書

ガラテヤ5章22節

 

御霊の実は、

愛、喜び、平安、

寛容、親切、善意、

誠実、柔和、自制、です。

 

 

主よ。

どうぞ私たちを、

もっともっと、

あなたの似姿に、

変えていってください。

 

 

 

 

 

ハーフ牧師がゆく 12話

続く・・・・。