ハーフ牧師がゆく 11話

「ハロー?」

スズメの鳴き声と、父の話し声で、目が覚めた。

 

 

 

「ハロー?」

父は電話帳を開き、何度も電話をしていた。

 

どうも通訳をしてくれる人を、

探しているようだ。

 

父と私の通訳をして助けてくれた自衛官の方は、

出張で遠い町に出かけて、

不在であった。

 

父は電話帳にある、日本名らしき人々に、

直接電話をかけて

通訳をお願いしていた。

 

 

「オー! サンキュー! サンキュー ベリー マッチ!」

ガチャン。

 

どうも通訳してくれる人が、見つかったようだ。

明日?

来てくれるらしい。

 

 

誰が通訳に来ても、

これは解決する問題ではない。

 

人格者に通訳してもらっても、

私と父の関係は解決しなかったのだ。

 

もう誰が来ても時間の無駄だ。

 

 

マニョーが仕事に出かけた。

俺にも足(バイクや車)が必要だ。

 

 

アメリカは車社会である(沖縄もそうだが)。

アメリカは何処に行くにも、

遠すぎるのだ。

 

だからアメリカでは

16歳から車の免許が取れる。

 

それぐらい、

何もするにも。

何処に行くにも、

車が必要な社会なのだ。

 

俺にも足が必要だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、誰もあてにならない。

人はあてにはならない。

 

人をあきらめることは、

小さい時から私の得意分野だ。

人はあてにならない。

 

自分のことは自分で何とかしなければならない。

自分のことは自分でする。

 

あてはある。

 

 

カルフォルニアのロサンゼルスに、

リトルトーキョーという町があるらしい。

 

そこは日本人がいっぱいいて、

日本語しかしゃべれない人でも、

十分に、働いたり、暮らしたり、出来るのだという。

 

そこに行きたい!

そこに行けば、何とか働くところを見つけられるハズだ。

 

そこで英語を覚えて、

自分のすべき「何か?」を見つけることが、

できるんじゃないか?

 

母は借金をして、

私をアメリカに送り出してくれた。

 

 

何も得ずに、

私は日本に帰るわけにはいかない。

 

 

 

マニョーが仕事から帰って来た。

財布もバイクのカギも、

小さな棚の一番上の

引き出しに入れる。

 

不用心だな。

 

 

マニョーのバイクを盗めば「リトル・トーキョウ」に行ける。

マニョーの財布の金を盗めば、

それでカルフォルニアまで行ける。

たぶん。

 

 

今考えると恐ろしいのだが、

17歳の私は、

そんなことを本気で真剣に考えた。

 

外国にいて、

頼る人のいない私は、

それほど追い詰められていたのだと思う。

 

 

泥棒は悪い事。

盗みは犯罪だ。

 

私の小さい時のあだ名は「正義の味方」だった。

困った人を助け、

間違った道を歩む人を正す。

 

 

伊達直人のような人に、私はなりたかった。

 

 

 

父をあてにしてアメリカに来たのが、

それがそもそもの

間違いだったのだ。

 

父は妻子を捨てられる人なのだ。

 

何故、母は父を信じたんだ?

「パパは、もうすぐむかえに来るからね。」

 

母はニーナと私に、

小さい時から

ずっとそう言って聞かせてきた。

 

父の記憶のない私は

父をあてにしていなかった。

 

しかし、

父の記憶のある姉ニーナは、

その言葉を信じて、

那覇空港に到着する飛行機を見つめては、

父が帰ってくるのを待っていたのだ

 

 

父は私達姉弟に、

誕生日プレゼントも、

クリスマスカードも、

生活費も送ってくれたことは無かったのに。

 

そんな人が、

そんな父が私たちを迎えに来るはずなど

ないのに。

 

かわいそうな、

お母さん。

 

かわいそうな、ニーナ。

ニーナ。

 

 

 

 

人は誰もあてに出来ない。

人は誰も信用できない。

人は誰も信じられない。

 

行こう!

自分の道は自分で切り開くのだ!

行こう!

リトル・トーキョーに!

 

 

マニョー!

ゴメン!

マニョー、

お前は何も悪くない!

本当にゴメン!

 

恨むなら、父を恨んでくれ!

 

 

荷物は最小限にまとめよう。

バイクでカルフォルニア州まで

三日間の道のり。

 

 

ノーヘルの国だ(ヘルメット着用義務が無い(当時は))。

コケたら大けがする。

安全運転で3000キロの旅。

出来るかな?

 

出来るか、出来ないか、じゃない。

やるか、やらないか、だ。

 

 

二人とももう寝たころだ。

よし!

そろそろ行くか!

 

私は起き上がった。

 

 

その時っだ。

人生で初めて聞く音が聞こえた。

 

「グキ!」

 

ん?

 

なんだこの音は?

自分の体内から

聞こえた。

 

 

「痛ってええええええええええええええええええええええええええ?」

 

 

何だこの痛みは????????????????????

 

後で知ったが、

ぎっくり腰だった。

 

 

死ぬほど痛い。

ぎゃぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!

 

 

今夜は中止だ。

明日がある。

今日は寝よう。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チュン。チュン。

 

キキー!

 

 

一台の古いアメ車が、

うちの前に止まった。

 

「何だ?」

 

 

父が何かを、

私に話しかけている。

 

通訳の人?

俺に出ろって?

 

はいはい。

 

 

ガチャ。

「初めまして。Sです。」

 

「あッ。どうも。」

嬉しい。

日本語だ。

 

 

誰かに似てる。

誰だろう?

そうだ。

社会の授業で習ったキリスト教の宣教師、

「フランシスコ・ザビエル」だ。

 

 

この男との出会いが、

私の人生を変えてしまう。

 

私はこの出会いが元で、

人生が全く変えられてしまう。

 

人生が変わったのだ。

 

「180度」変わったじゃ少なすぎる。

「360度」だと一周して、人生が何も変わってないことになる。

だから、360度+180度、変わった、と言っておこう。

 

それほど、この人との出会いは

私の全てを変えてしまった。

 

 

 

もし「ぎっくり腰」になっていなかったら、

私はあの後、

死んでいたかもしれない。

 

バイク事故で死んでいたか、

ギャングに襲われて死んでいたか、

運が良くても、犯罪者としての人生を歩んでいたと思う。

 

ところがそうは

ならなかった。

今考えても奇跡的なタイミングである。

 

今なら分かる。

理由が分かる。

 

神さまが守って下さったのだ。

主イエスさまが天から見下ろして、

み使いを遣わして私の腰を打たれたのだ。

 

私はそう思う。

だからその後の私の人生がある。

だから今の幸せがある。

 

神さまは本当にいる。

 

今このブログを見ているあなたが神の存在を否定しても、

神さまは本当にいるのだ。

 

その証拠に、

あなたが死ぬ前に、

あなたが滅びる前に、

あなたはこのブログを見つけた。

 

神さまはあなたを愛している。

神さまはあなたを守っている。

 

イエスさまはみ使いを遣わして、

あなたを守っておられる。

あなたが感じようと感じまいと関係ない。

 

あなたは守られている。

あなたは愛されている。

 

だから痛い目に遭うんだ。

だから辛い目に遭うんだ。

だから悲しい目に遭うんだ。

 

帰っておいで!

戻っておいで!

 

神さまはあなたに語りかけている。

 

 

あなたの生みの親が

あなたを捨てても、

あなたの大切な人があなたの元を去って行っても、

イエスさまはあなたを

決して捨てない!!

 

 

帰っておいで!

愛されている子よ。

帰っておいで!

 

 

守られてる子よ。

帰っておいで!

 

 

私は信じる。

あなたは変えられる!

180度どころじゃない!

360度じゃない!

 

540度だ!!

 

 

あなたはひとりじゃない。

大丈夫!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハーフ牧師がゆく 11話

続く…